麻倉JOURNAL

麻倉 柊太

心の在処

心とは、どこにあるのでしょうか。
ある人曰く、心は胸に、心臓の鼓動に。またある人曰く、心は頭に、感情に。
しかし麻倉曰く、心は声に、言葉に。

心って本当にあるんでしょうか。
麻倉が思うに、あるとしたらそれは消耗品である気がするんですよ。なぜか。ずっと同じところに変わらない形で存在するなら、人は壊れません。人が壊れた時は、それは消耗しきった時です。そして、そこに至る過程には、必ず消耗という、何かをすり減らす連続があります。

それはどういう時か。
疲れ。嫌なことをする、される、聞く。助けがない時。などなど。
ひたすらマイナスの連続です。そこに自分の意見、現状をなんとかしたい、という自分の声が届けばその連続は途切れるかもしれない。しかしそれが出来ないから蓄積が止まらない。蓄積の増加につれて声を出す気力も無くなるでしょう。マイナスの増加と心の消耗は反比例の関係にあります。

消耗した心を取り戻すには。
麻倉が考えるに、言葉は魔法です。言葉は何にでも姿を変えて、一言でさえその力は計り知れないのです。想像力が小説という言葉の形に落とされて、SFは科学の進歩の原動力になりました。小さい時にふと言われた一言が、大人になっても色褪せずに覚えてる人だって多いはず。それが結果としてどのような影響を残したのかは受取手にも依ります。プラスに受け取っていい成長につなげる人もいれば、マイナスに受け取って呪縛になる人だっている。

心を潤すのは言葉です。
消耗の連続に歯止めをかけるのは言葉です。言葉は形を問いません。声に、文字に、思想もそう。消耗が進むと言葉が出てこなくなります。考えるのが億劫に、意見を出して会話につなげることさえ億劫になります。その時は周りから言葉を吸収するのです。本を読む。映画を観る。バラエティに触れる。消耗が進めば自分には時間がないと思ってしまうでしょう。消耗に気付いたら、意地でも時間をつくってください。その時間と自分を言葉で満たしてください。